チャット形式である利用者の言葉を理解してくれるAIとの付き合い方について書いていきます。
言葉を理解できるAIについて
言語学は専門ではないので、間違った表現を使うかもしれませんが、そこはご了承ください。
言葉にできないことは理解してくれない
(文脈次第では推測してくれることもあります。)
語彙力や対人経験がまだ少ない子どもが発する言葉には、その発話者の意図がほとんど乗りませんが、例えば親であれば理解できることや、同じ場を共有する友達だから理解でき成立する会話があります。
これは聞き手の理解力がとても高い場合かお互いだけの共通ルールがある話で、言葉に対する理解力は人間の方が上のようです。ただAI側の肩をもつことになりますが、汎用AIは個別の事情を学習していませんから、2者間で通じる感情や独特の表現を含んだ会話の理解に弱いのは仕方ありません。(AIに個別の環境を学習させられるようになることで、より正確な理解につながることは期待できます。)
AIにも理解しやすい表現や記述方法がある
AIが理解しやすい記法というのは存在するようです。
考えてみれば当たり前のことですが、機械に文章を理解させる場合、単語レベルで分解して意味をつなぎ、文章としてどういう意味を持っているのかを学習結果から推測させます。今は文脈の理解も取り込んでいるようですね。そしてそれに対して答えを返してくるわけですが、それでも解析時に曖昧で不正確な表現を入れるとAIも不正確な返答になってしまいことがあります。
そういう時は、AIが判断しやすいような表現に変えると良いそうです。
日本語の曖昧さ
日本語はそもそも曖昧な表現になりやすい言語なので、AIで理解するのも大変なはずです。
「兄は私のように背が高いわけではない」
句読点を打つ場所で意味が変わる文章です。最後に否定を入れてより分かりにくい文章にしています。
「兄は、私のように背が高いわけではない」(私は背が高い)
「兄は私のように、背が高いわけではない」(私も背が高くない)
文脈で理解できるようですが、ついつい書いてしまうような曖昧に取れる文章は注意が必要です。
プログラミングとチャット系AIを使う時の共通点
プログラムは機械がわかるように機械に指示を出すための言語であり記法です。そのため、機械に分かるように厳密なルールがあり、その通りに記述しなければいけません。また、手順も抜けず正しい順番で記載しないと、想定外の動きになります。
これらのルールがプログラミングを難しくイメージさせてしまう原因の一つですが、AIと会話するのも共通点があります。
ルールを覚える
より厳格なのはプログラミングの方ですね。AIはこちらの注文をある程度推測はしてくれますので。しかし、より詳細に自分の環境に合った答えを返して欲しい時は、丁寧に記述する必要があります。
プログラミングに慣れていたら、このような丁寧に伝えるため要素を分解して整理するような論理的思考をしようと思えるはずです。できるかどうかは国語力も含めた別の能力も必要ですが。
想定外の答えに対する試行錯誤
実はこれが重要なポイントではないか、と思いました。質問内容を変更することや、追加の条件を記載していくほど、AIの回答精度は上がっていきます。これがプログラミングの手法にとても似ていると感じました。
プログラミングは基本的に一発で完成しません。些細な記述ミスのエラーは、開発アプリが文字チェックなどをしてくれることでかなり減りましたが、それでもこんな結果じゃないのにな・・・という結果になって、該当箇所を修正していくという作業は避けられません。
そのため、コードを書き終わった時点ではプログラムが完成したなんて思うこともなく、おかしな結果を炙り出すような動かし方をして、そこを修正して完成に近づけていくという作業に入ります。これは私にとって当たり前の作業すぎて違和感がなかったのですが、この感覚はプログラミングを経験したからこそ身についたものだと思います。
ロボットプログラミング教室では試行錯誤が大事ということを、学びにつなげる話をすることが多いのですが、AIに対しても回答制度を上げていくために試行錯誤が必要で、この経験が今後の質問の質向上に繋がり。という流れになり、試行錯誤ができるということは、今後はより重要な要素になっていくのではないでしょうか。
相手が分かるように記載を工夫する
これもプログラミングをしていると経験するのですが、こちらが使いやすい記述よりも、機械にとって負荷が少ない記述や、より正確な反応を返す方法を考えます。結果として見た目が複雑になりすぎて修正が困難になりそうであれば検討しますが、それも前述した通りに間違いが起こることを前提に、将来の自分のために見やすいプログラムとして考えます。
とにかく今の自分さえ良ければいいという考えから遠のいていきます。
AIに対しても、自分だけが分かる言葉は使わないように、自分が理解している環境を客観的に整理して抜けなく伝える配慮が大切です。
情報とAIとそれを活用する能力
情報が溢れていく歴史
結局のところ、AIも情報収集のツールの一つという考えでいいのではないでしょうか。
昔はテレビや新聞・雑誌などの一方通行のメディアから、インターネットが発達し個人間の双方向の情報伝達ができ、googleを始めとする検索エンジンが発達していきました。このように情報の入手スダンが多様化し、それに合わせてサービスも拡大し、買い物も地図も外食も生活に関わることを始め、さまざまな情報にその場でアクセスできるようになりました。学びも仕事も情報を活かして変化しています。
膨大に溢れた情報を探すことができるスキルが、生活を変えるといっても過言ではない環境です。これがAIによって、より大量の情報を精査して、時には活用できるレベルまで作り出してくれて(プログラミングも文章の推敲もできます)、こちらはそれをどう活かすかに集中できるようになりました。
AIを情報収集と判断のためのツールとして使いこなす
私たちが情報を手に入れる能力も、それを使ってどうするかを判断する能力も方向性は同じようです。情報の使い方次第で生活が変わったように、これからはAIを使うことに対して何が必要で、結局はどうすれば最適な案を手にできるか、そしてその案が最適と判断できるかです。
その精度は今まで以上に顕著な差になります。抜けの多い質問をしている限りAIも抜けが多い回答になりますが、そこを一つ一つ潰していき、本当に必要な情報を正しく伝えることができれば、現時点のAIでも十分すぎる高度な回答も返してくれます。
今後の教育について改めて思うこと
AIを自分たちの生活を豊かにするためのツールとして使うためにも、相手に正確に伝えることができ、自身も正確に読み取る国語力、原理を理論で理解でき理解させられる数学力、状況を正しく理解・判断するための理科、社会の基礎知識。いずれかが欠けても、そこからこぼれ落ちてしまうかもしれません。あえて数学は計算力などとは書いていません。本来の理論を考える学問として捉えるべきだと改めて思い直しました。
そして、これらの学習を応用させ活用することを学び、問題解決能力や判断的思考力を鍛えることで、正しく安全にAIを活用でき、より豊かな生活につなぐことができると思います。
将来はさらにAIの理解力が上がって、曖昧な表現も理解できるAIが出てくるとは思っています。しかし、AIをを使う側の能力が求められるのは変わらないでしょう。AIに理解してもらうではなく、AIをどう使うか。それを考え実践するためには問題解決能力も判断的思考力も欠かせません。そして、さまざまな能力を鍛えAIを使いこなすことで、子どもたちの将来の活躍像が変わるのは間違いないと思います。
この教室では、学習塾として基礎部分を、ロボットプログラミングで応用としての問題解決能力や思考力を鍛えることをそれぞれサポートできます。子供達が少しでも豊かな生き方ができるように成長してもらえれば、と思っています。それはたとえこの教室じゃなくても。
ロボットプログラミングはもう少し広まっても良いのに、と。
決して危機感を煽りたいわけではなく、本当に必要な学習とそれをこれからどう活かすかを、改めて考えることがこれからの学習塾としての責任だよなぁ、と思った次第です。